八柱 霊園
八柱霊園は千葉県松戸市田中新田生松48-2にありますが、東京都立霊園です。
昭和10年に東京市が東方墓地として開設した八柱霊園は、およそ1平方キロメートル(東京ドーム約20個分)の敷地を有し、春秋のお彼岸やお盆になると、一日数万人もの墓参者が訪れます。
正面の参道には、たくさんの露店が出店されて、それはそれは賑わうのです。
それ以外の時期には人出が少なく、公園墓地として、付近の住民などがフランス風の幾何学模様の庭園や黒松、欅(ケヤキ)などの自然の中で、のんびりと休息したり、散歩したりしています。
八柱霊園には有名人のお墓が比較的少ないですが、講道館柔道の創始者の嘉納治五郎や詩人で仏文学者の西條八十、演歌歌手の松山恵子のお墓があるそうです。
昼間は綺麗に整備され、それほど古い霊園にはみえない八柱霊園ですが、夜になると印象は一変します。
八柱霊園は地元では心霊スポットとして有名なのです。
テレビで紹介されたこともあるほど、「出る」と評判で特に無縁仏が埋葬されている「第十三区」で飛び交う人魂をみたとか、人の声や足音がきこえたなどの目撃談が絶えないのだとか。
他にも、止まれの標識のところに女性の霊が出る、無縁仏の霊が追いかけてくる、霊をみたら事故を起こすともいわれています。
夜に行っても、不思議な体験をする人としない人がいるようです。
でも、八柱霊園は夜間立ち入り禁止なので、肝試しに行くのはオススメできません。
ちなみに、八柱霊園は都立霊園ですが、一定の条件を満たした東京居住者の他に、松戸市民も公募に応募できます。
多磨 霊園
多磨霊園は府中市多磨町4-628にある日本初の公園墓地で、都内霊園で最大の面積(128万平方メートル。
およそ39万坪)を誇りますが、墓所の面積は多磨霊園全体の面積の半分以下に抑えられています。
多磨霊園には樹齢八十年といわれるソメイヨシノがあり(府中の名木百選)、桜の名所としても有名です。
多磨霊園が開園したのは1923年(大正12年)で、多磨墓地という名称でした。
多磨霊園という名称になったのは、1935年(昭和10年)です。
多磨霊園が出来たばかりの頃は、あまり利用者が多くなかったものの、1934年に東郷平八郎元帥海軍大将が名誉霊域に埋葬されると、多磨霊園は有名になり、人気の霊園の一つになるくらい利用者が増えました。
東郷平八郎元帥海軍大将の他にも、多磨霊園にはたくさんの有名人が埋葬されています。
山本五十六元帥海軍大将、白樺派の有島武郎、探偵小説家の江戸川乱歩、芥川賞を創設した菊池寛、詩人の北原白秋、「サザエさん」の長谷川町子、割腹自殺した三島由紀夫、歌人の与謝野鉄幹と与謝野晶子、時代小説の吉川英治などなど・・・。
多磨霊園は新緑や紅葉も綺麗ですから、天気のいい日に散歩がてら有名人のお墓を探してみるのもいいかもしれません。
人気の多磨霊園ですが、都内に居住しているなどいくつかの応募条件を満たしていれば、年一回の公募に応募することができます。
倍率がものすごく高いので、抽選になりますが、運よく当選できたら、将来は有名人達と同じ霊園に埋葬されることができるでしょう。
青山 霊園
青山霊園は、港区南青山2-32-2にある都立の霊園で、日本初の公営墓地です。
都心の一等地におよそ26万平方メートルもの広大な敷地を持つ青山霊園は、1911年(明治44年)に移転問題が持ち上がりましたが、「公園墓地」の構想が提案され、移転せずに公園化整備が進められて、1935年(昭和10年)には自然が豊かで市民が憩える現在の形になったのです。
青山霊園には130年以上の歴史があります。
広い敷地の59%は緑で覆われ、欅(ケヤキ)や梅などの老木や400本以上のソメイヨシノ、野鳥のさえずりなど、ほぼ手付かずの自然を満喫できるのが魅力です。
青山霊園の中央には1.7キロほどの桜並木があり、桜の名所としても有名ですし、青山陸橋から園内に入る広い道路にある槐(エンジュ)の並木も八月頃になると美しい黄白色の花を咲かせます。
青山霊園には、「忠犬ハチ公の碑」や「日本航空発始の碑」などの名所もありますし、大久保利通や吉田茂、乃木希典、斉藤茂吉、志賀直哉、尾崎紅葉、星新一などの著名人も埋葬されています。
霊園管理事務所で著名人の墓所が記された案内パンフレットをもらって、探してみるのも興味深いかもしれません。
色々な形の墓石が並ぶ外国人墓地通りも一見の価値があると思います。
ちなみに、青山霊園の青山という名前はこの敷地が徳川家康・秀忠につかえた美濃国郡上藩藩主青山忠成の下屋敷だったことに由来するのだとか。